「考える」と「悩む」の違い
記念すべきブログ10日目。
最近は新しくうちの会社で使った学生向けのコーチング団体を日々成長させております。
最近よく議論される「新卒一括採用はいるのか?!」「義務教育は必要なのか?」ということに関して。
僕は「必要ない」という道もあると思ってるのですが、こういった仕事をしている者の観点からすると、やはり前提として個々人の思考のチェンジがあるべきかなと。
(社会構造の概念に対する思考チェンジというよりかは、そのもう一個前の『起業家精神』みたいなところです)
私が作ろうとしている団体がそんな思考チェンジに一山買えば幸いですね。
今日も学生2人に団体の説明を行いました。
一通り話し終えてから、「どうしますか?入りますか?」と聞くと、
1人の子が「ちょっと時間を置いて考えさせてください」と言いました。
「もちろん。そうすると、何が解消されたら意思決定できますか?」と聞くと、
「他のこともある中で自分の時間が十分に避けるかどうか考えたいです。」と言ったので、
「分かりました。では、それをどう判断しますか?」と聞くと、
その子はウーンと考え始めて、結局答えが出ませんでした。
その時に、「なるほど。あなたは考えてるのではなく、悩んでいますね。」と言いました。
「考える」ことと、「悩む」ことには、どんな違いがありますか?
私が言うには、悩むというのは、目的地の分からない砂漠の中でグルグルと歩き続けているようなものです。
得たい結果が不明確なので、何を判断すればいいかが分からず、ほぼ「思考停止」に陥っている状態です。
なので、この場合いくら「考える時間」を取ってもその問題が解決することはありません。
「悩む」というのは、漠然とした『不安』という感情から起こりやすいのかなと考えています。
私の尊敬する経営者のチップコンリーの著書「感情の方程式」では、
不安 = 不確実性 × 無力感
と定義しています。
私たちは、どうなるか分からないものに対して、「自分にはどうしようも出来ない」と思う時に不安という感情が起こります。
その時に「考える」ということをしようとすると、結果的に「悩む」ということになるのではないかと思います。
不安を解消し、悩むことをしないための一つの方法は、
「一刻も早く意思決定して、決めた方が正解になるように行動する」
です。
上手く行くか行かないかが不確実であることは変わらないので、ならばもう意思決定をしてしまいましょうということです。
早めに動き出せば、成功させるためのアクションもそれだけたくさん取れます。
少なくとも、悩んでいる時よりも前に進みますね。
何も分からない中で意思決定する、ということはとても不安で怖いものです。
しかしながら、食べたことないお寿司の批評は出来ません。
まずやってみて、上手く行かなかったら変えてみる。
私もそんなチャレンジを後押しできるコーチでいたいものです。