信頼を得るために「理由」を述べる
記念すべきブログ24日目。
今日はこんな記事を読みました。
自動運転車に乗る不安を和らげる、ウェイモが用意した仕掛けとは
自動運転車が普及するためのいくつかの取り組みについて書かれた記事です。
私が面白いと思ったのは以下の部分。
ブルームバーグが見たモデル車では、特別なダッシュボード上に近くの車や歩行者、建物が表示されていた。こうすることで、車に十分な能力があり、しっかりコントロールされていることを乗客が確認できる。
ダッシュボードでは、その時の状況に関わり合いのある車が明るく光り、他の車は目立たなくなる。そこから伝わるメッセージはこうだ。「心配しないで下さい。システムは周囲の車を認識していて、どの車に注意すべきかわかっていますから」
車が「私は大丈夫ですよ」と言える理由を、乗っている人に必死に伝えようとしているようです。
面白いのが、これをしようがしまいが、(乗客は結局何もしないので)事故の可能性にはなんら影響しないってところですよね。
でも、乗っている人を安心させるために車が「安全である理由」を伝えようとするのです。
「理由」っていうのは、思った以上にパワフルなようです。
多くの会社では「理由を言わない」というコミュニケーションが取られることがあります。
ある会社でコーチをした時に、上司の一人が「○○して!」と部下に伝えてました。
部下の方が理由を聞くと「そんなこと言わなくても分かるでしょ!」と上司の方は言いました。
確かに、言わなくても分かるほど理由は明らかなものかもしれません。
ただ一方で、そうすべきことは分かっていても、それが信頼の置けない人の言葉だったら動きたくなるでしょうか?
信頼とは、エネルギーです。
私達は『理由』まで伝えてもらうことで、『信頼』という「自分がこれから行う行動を正当化して実行するためのエネルギー」を手に入れようとしているのかもしれません。
すごい会議でも、自分の主張を述べた後に、「なぜならば〜〜」といった形でその主張の理由を必ず述べます。
この時に述べられる理由は、どんなものであっても認められます。
一方で、(どれだけ分かりやすい主張でも)理由を言わない場合には、私たちコーチは「なぜならば?」と相手に聞きます。
理由がなんであれ、「理由がある」ということに対して、人はその主張への信頼を持つようです。
世界の構造を変える力を持つ自動運転車だって信頼を得るために「理由」を伝えています。
私たちが「分かっているだろうから」と『理由』を省く理由は、どこにあるのでしょうか?