好奇心の記録

「言葉」をデザインする西澤薫の、日々の気づき。

期待を持ち込まない

記念すべきブログ33日目。

本日はセムラー講演2日目でした。

京都で開催しました。

 そして、私の人生の中で一番衝撃を受けた日になりました。

 

 

 

というのも、

昨日の講演もそうでしたが、セムラーはお客様から質問されることに関してそのまま明確に答えてくれません。

抽象的なことや事例のみ話して、結論はぼんやりさせて終了します。

 

なので、昨日のお客様からは

「質問の答えは手に入ってないよ!」

「結局どうすればいいのか分からない。」

と満足されてない方が何人もいました。

かくいう私自身も、「こんなことが言いたいんじゃないだろうか。。」と解釈して、モヤモヤが残りつつGETしているという状態でした。

 

2日目の今日も、セムラーは相変わらず質問に明確に答えず、ほのめかすだけです。

私は「これじゃこの講演は大変なことになるぞ。セムラーはなぜ質問に答えないんだろう。」と不思議で仕方ありませんでした。

 

 

 

そんなことを考えながらの、講演の終盤。

セムラーはみんなの方を向いてこう言いました。

「私は皆さんの質問への答えを持っている。

質問に答えを与えるのは簡単だ。

ただ、私の答えは正解ではない。

だから、私は伝道師として、相手の中でなにかしらの答えが生み出されればそれでいい。」

と。

 

その時、私はハッとしました。

 

「私はセムラーに答えをもらうことを期待していたんだ。」

 

まさに昨日の「期待」と「信頼」の話です。

私はセムラーから何かプレゼントを貰えると思っていました。

一方でセムラーは、私たちに「これを持って帰ってほしい」という話は一切しません。

話を聞いて、相手が何をGETするかは相手に「委ねて」いたのです。

 

 

 

私はそんな彼のあり方に脳天を叩かれたかのような衝撃を受けました。

セムラーは、「自分を退屈させた瞬間に良いものは生まれない」と言いました。

 彼は今回の講演からでさえも、お客様からの反応や気づきのシェアを通して、自らの世界を広げようとしているのです。

 

もちろん、ここまで私が述べた意見は、セムラーが直接言っていたことではありません。

ですが、今日はモヤモヤではなく、すごくスッキリした状態で終わることが出来ました。

その証拠に、彼の退出時には全員が勝手にスタンディングオベーションをしていました。

 

 私はお客様にセッション(会議)を行うとき、「期待」してしまっています。
しかし、私が何かを期待すれば、その基準は「期待が得られるか」「得られないか」の2軸になります。
そして、期待が得られるような道筋を私が引いてあげることになります。

これで果たして、私自身も予期しなかった驚くべき変化が会議で生まれるでしょうか?

 

私が期待しなくても、相手の求めるものをサポートすれば、勝手に違いが生まれる。

そう信頼して、期待を持ち込まない。

そんなあり方にシフトした私の未来に、今とてもワクワクしています。