好奇心の記録

「言葉」をデザインする西澤薫の、日々の気づき。

「言葉」を扱う人生

会社を辞めて、早2ヶ月。
自分の扱いたいことが分かれば分かるほど、その「ゴールの遠さ」に憂うつになる。
というのも、僕が扱いたいのは、「言葉」だったのだ。

 

 


「言葉」とは。
狭義的には、口から出すあれが、言葉だ。
手で書くあれが、言葉だ。
広い意味で言えば、
音楽は、言葉だ。
芸術は、言葉だ。
表情は、言葉だ。
この世でメッセージを発するありとあらゆるものが、言葉だ。

僕が扱いたいもののメインは、
狭義的意味での、「口から発したり」「字で書いたり」する言葉だ。

 

 

 

さて、そんな言葉。
僕が扱いたいと思った理由は、
(僕も含めて)世界の人たちが言葉の奴隷になっている
と感じたからだ。

言葉の奴隷。
持ち合わせる言葉の量が少ないことによって、言葉に支配されること。
言葉の支配とは、その言葉に服従せざるを得ない状態のこと。
もしくは、黙秘するしかない状態のこと。

例えば、
大人数もしくはあなたより立場の上の人から「正論」を言われた時。
頭では確かに「その通り」と思うのだが、心ではなんだかモヤモヤする。
ただ、その心のモヤモヤを言葉に出来ない。
人はそれを「違和感」と呼ぶ。
でも、その時言葉を持ち合わせていない人は、相手の言葉に従うしかないのだ。

僕は本当に辛かった。悔しかった。

自分の語彙の少なさに。

自分の心の違和感を丁寧に扱ってあげられない自らの未熟さに。

 

 

 

僕は、これを変えたい。僕だけでなく、同じことを悩む全ての人を変えていきたい。
言い換えるなら、人の言葉を豊かにしたい。

恋人への愛情表現のために使えるお金が100万の人と、1万の人だったら、明らかに前者の方が豊かだ。
なぜならば、豊富な選択肢が取れるからだ。(選択肢を知っているかどうかは別として)

同じように、恋人への愛情表現のために使える言葉が100個の人と、1個の人だったら、明らかに前者の方が豊かだ。

 


お金を豊かにしてくれる人はたくさんいる。
でも、言葉を豊かにしてくれる人はほとんどいない。
(少なくとも僕の人生においては)
そして、その重要性を感じている。

だから、僕は言葉を豊かにしたいのだ。

しかし、一方で、その厳しさも感じる。
お金と違って、目に見えて豊かになっているかは分からない。
詩人と思われてもおかしくない。
私は、詩人になりたいわけではない。
あくまでも「豊か」になるためなのだ。

この道の正解は、誰も持ってはいない。

どこにあるかも分からないゴールの遠さに、憂鬱になる。

一方で、厳しくとも、好奇心が抑えられないのだ。