猫が人間のふりするな。
猫に小判、ということわざがある。
猫に小判をいくら与えても、使い方が分からなければ全くもって無駄にしかならない、ということをあらわしている。
この諺は、ものすごく学ぶべきことの多いものだと思う。
というのも、生きている中でこういった出来事がたくさん起こるからだ。
僕で言えば、ちょうど一年ほど前に、この「猫に小判」体験をした。
前月の収入が5桁だったのに、その月の収入が月で7ケタになったのだ。
元来お金をほとんど使わずに生活していた僕は、そうしたお金の使い道が全く分からなかった。
迷った挙句、レーシックに半分くらい投資した。
あと残り半分くらいは、遊びのお金で消えた。
支出の額が、収入の額に達するまで膨張する法則。
宝くじを当ててしまった人が、多くの場合幸せになれないのは、この理屈だ。
身に余るお金を得れば、余計な使い方をしてしまい、結果、欲望は膨張し続ける。
まず出口を決めることが大事だと言われる。
すなわち、何にお金を使うのか、をまず決めることだ。
尊敬する経営者の人が言っていた。
「お金はないと不安になるけど、あるともっと不安になるんです。」
世間は広告に溢れている。
SNSやネットを開けば、すぐに広告が目に入って、今まで必要でもなかったものを僕らに欲しがらせる。
欲望を膨らませる最もいい方法は、SNSを開くことである。
猫が小判を使いこなすためにまずすべきことは、小判の使い方を調べることではない。
まずやることは、自分が猫であることを認識することだ。
小判などなくても、真っ当な猫になれると自信を持つことである。
「我輩は猫である」と。
猫が人間のふりするな
書店に行けば自己啓発本やノウハウ本が並び、そうしたセミナーは今もこのどこかで高額で実施されている。
しかしながら、その中で実際に行動まで起こす人は数%に過ぎず、残りは描いて満足してしまうらしい。
作者も、セミナー担当者も、セラピストだ。
「俺はまだまだやれる」と、未来に感じた漠然な不安に漠然の楽観主義を植え込むセラピストだ。
こういうのが売れる世の中では、多くの人が自信がなくて病んでるのか。
応急処置として提供してくれるサービスはいくらでもある。
ただ、悲観主義的な不安でも楽観主義的なやる気でもなく、
ありのままを見て、そこから未来を進めていくことに真の成長があると思ってる。
猫が人間のふりするな。