好奇心の記録

「言葉」をデザインする西澤薫の、日々の気づき。

いい文章が書ける人はいらない

文化を基に翻訳する

 

今、進めているプロジェクトの一つに、「桃太郎翻訳プロジェクト」がある。

日本で誰もが知る桃太郎の物語を、世界中のあらゆる言語で、文化的背景も踏まえながら、翻訳するというプロジェクトだ。

今日はその進展のために、翻訳家のOさんと打ち合わせをしている時の話。

 

Oさん(以下: O)「ただ翻訳しても意味ないんですよね。」

僕「どういうことですか?」

O「文化を踏まえると、桃太郎の物語そのものが成り立たない言語や文化があってもおかしくないと思うのです。」

 

なるほど、と思った。

たしかに、桃太郎は、日本の文化のもとで作られたものだ。

言語も日本語で書かれている。

 

例えば、インドでは大きな川のことを「ガンジス川」だと捉えるらしい。

ガンジス川は死体を流すために使われていた川だそうだ。

死体が流れてくる川から、桃が流れてきたら、インドの文化ではどう捉えるのだろうか?

そういう文化も踏まえて、初めてこのプロジェクトは面白いものになる。

 

いい文章が書ける人はいらない

 

文化を理解していないと、期待したものにはならない。

 

ただ翻訳を出来る人は、世の中にごまんといるという。

本当に優れた翻訳家や、指名で受ける翻訳家は、相手の背景をわかって翻訳することが出来る。

 

背景を知ることが求められるのは、翻訳者だけではない。

ライターでも求められている。

 

今日、ある有名な会社のインタビュアー兼ライターの人にお会いした。

その人が言うには、

「ライティングを1記事10万円くらいでやってくれる人はいるんですけど、求めた記事にならないんですよね。

なんか、ただ書いてるだけ、って感じで。」

それを聞いて、改めて思った。

もう、いい文章が書ける人は、いらないのだ。


その会社の持ち合わせる文化や価値観に基づいて翻訳して欲しいのだが、その期待に答えられるライターはなかなかいない。

 

そのうち、ただ翻訳できる翻訳家、ただいい記事の書けるライターはAIに取って代わられるだろう。
今後は、背景を理解できる翻訳者、ライターに仕事が集まるだろう。

 

そして、さらに仕事が集まるのは、背景も理解して、さらに相手に気づきの与えられる翻訳家、ライターだ。

そういう人たちには、インタビューの依頼が殺到するに違いない。

 

もし翻訳家やライターで食べていきたければ、背景の文化を理解して翻訳・ライティングできるスキルが確実に求められる。