好奇心の記録

「言葉」をデザインする西澤薫の、日々の気づき。

まがいものに本物であれ

マイノリティリポート

 

久々に映画を見ようと思って、

ダウンロードしてから3か月くらい観れていなかった「マイノリティリポート」を見た。
ティーブンスピルバーグ監督のSF作品だ。

 

近未来の警察官の主人公が、犯罪予知システムを使って犯罪が起こる前に犯人を捕まえるのだが、

その犯罪予知システムが主人公を犯人だと予知したことからてんやわんやする作品だ。


2002年にとられた作品なので昔の映画だと思ってバカにしていたが、かなりハマった。

水面を走る車や、眼球認識などを行う未来のSF作品でありながら、
作品の大部分で触れていくのは、人間の内面の話だ。


扱うのは、govtech。
政府×テクノロジーになると、人々はテクノロジーに完璧さを求める。
犯罪が起こる前に犯罪を食い止められるこの仕組みはかなり画期的だが、そこに冤罪は決して許されないのだ。

 

 

完璧さという幻想

 

以前、松潤主演の「99.9%」というドラマにもどハマりした。

日本で検事が起訴した事件の99.9%はほぼ間違いなく有罪になる。

その残り0.1%を探して、被告人を無罪にするために松潤が奮闘するドラマだった。

 

そのドラマを見たときにも思ったが、

人間の手や人間の思考が介在する以上、そこに「完璧」などという言葉は似合わないのである。

 

ただし、僕らは完璧が好きだ。

そして、テクノロジーやシステムに完璧さを求めている。

東日本大震災の時も、東電と原子力発電所のシステムに完璧を求めたからこそ、気づくのに遅れた。

 

マイノリティリポートで描くのもまさにそこだった。

僕らは完璧さという幻想に囚われている。

そして、政府はそれに応えようと、完璧さをどうにかして守ろうとする。

 

 

まがいものに本物であれ

 

この世に完璧なものはない。

だから、「完璧」であろうとすると、疲れたり逆に欠陥が目立ったりする。

完璧さを取り繕うために、嘘とごまかしで塗り固めなくてはならない。

マイノリティリポートにおけるその結果は、全てのシステムの破滅だった。

 

僕が好きな言葉は、

「まがいものに本物であれ」

という言葉だ。

 

人間も、システムも、

時に間違えたり、上手くいかないことがあるという前提のもとで行動すること。

日本の大企業だって、Google検索エンジンだって、政府だって、

完璧を気取ると、いつか破滅するかもしれない。

そう思っておけば、少なくとも完璧を信じている人よりも、いい行動ができると思う。