好奇心の記録

「言葉」をデザインする西澤薫の、日々の気づき。

極めるなどない

新・北斎

 

六本木の森美術館でやっている、「新・北斎展」に行ってきた。

北斎は20歳で浮世絵界にデビューしてから、90歳で没するまで絵の道を極め続けてきた。

彼の作品で特に有名な赤富士や、波の絵といった「富嶽三十六景」は、彼が70歳を過ぎてから作られたものだ。

 

その生涯を常に絵描きに捧げ続けた葛飾北斎は、中国画的な力強い表現や、アメコミのような洋風表現も積極的に取り入れていた。

当時、他の流派や海外の芸術表現がご法度だった時代に、そういうところも含めて積極的に学びにいっていたのだ。

北斎はその生涯にわたって、漫画、春画、西洋画、水墨画と幅広く取り入れていく。

 

北斎は、有名な『北斎漫画』を含む多彩な絵手本を書いたりと、庶民的な作品を多く残すことでも知られる。

そんな彼が、90年の集大成、晩年の作品が「弘法大師修法図」である。

この実物を今日の展示会で見たときは、正直言って震えが止まらなかった。

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これまでのどの絵とも違う、北斎の集大成を感じる作品。

そこに宿るものを「これはこうだからすごいよね。」とは言えず、ただただ震えることしか出来ない。

 

 

極める などない

 

僕が好きなインクワイアリーという有名人や偉人のの名言を載せているサイトでも、葛飾北斎をこう綴っている。

 

晩年、自分のことを『画狂老人卍』と名乗った北斎は、その枠にとらわれない唯一無二の生き方を貫くことで、この世の歴史に『生きざま』を刻みました。その生きざまはもしかしたら、北斎が残した一つの『芸術』なのかもしれません。

 

彼自身の「生き様」が彼の芸術であり、この作品にはその生き様を前面に表現している。

それは、一朝一夕で語れるものではない。まさに「言葉にできない」素晴らしさだった。

 

嘉永2年(1849)4月18日朝、北斎は90歳で生涯を終える。

その時に、彼が言い残した言葉は、

「あと10年、いや5年命が保てば真正の画工になれたのに」

であった。

 

群を抜いた絵描きであった北斎の言葉は、「この世に『極めた』などというものはない」ということを教えてくれる。

極めた、と言っているということは、まだ極めていない、ということを露呈しているだけなのかもしれない。

 

さて、これは絵の世界だけの話だろうか。

いや、それはあらゆるものに通ずるのだ。