好奇心の記録

「言葉」をデザインする西澤薫の、日々の気づき。

判断する危険性

ダサいと気づく

 

あなたは服装を自分で選びますか?
その服の「イケてる」度合いって10点満点でいうと何点ですか?

その服装をおすぎが見たら、「○○点!」って言いそうですか?

 

自分ではオシャレだと思っていた服装が、
友人に「中学生みたいw」と大きく笑われたときに、

「あ、私のオシャレレベルってかなり低いんだな」と初めて認識しました。

 

服装に普段から関心を持っていなければ、
自分では「ダサさ」になかなか気づかないものです。

しかも、周りも「あなたダサいですね」なんて教えてくれません。

 

ファッション雑誌を読んでその通りやったと思っても、

オシャレじゃない自分自身の判断や解釈が入ればたちまちダサくなります。

 

 

判断しない

 

私自身は、オシャレな後輩に服を選んでもらいます。

後輩と一緒に行って、欲しい服のニュアンスと予算を伝えて、お店から選んでもらうわけです。

本日は明治神宮前のいくつかのお店で、夏用の服と靴を選んでいただきました。

 

彼が選んだ服装に対して、「え?その組み合わせがオシャレなの?!」と何度も思います。

ただ、決して「これはダサいでしょ。。」と反論しません。

必ず言われた通りのものをまず試着してみます。

 

私の判断で服を選んでも自分のこれまでが「ダサい人間」なので、

「ダサい服」もしくは「ダサい着こなし」しか出て来ません。

ファッションということに関して、自分の判断が役に立たないことを知っています。

 

なので、「自分よりこの人の方が絶対ファッションに関しては深まってるよな」と思ったら、

その人が私の後輩であれ、高校生であれ、ほぼ従います。

 

 

その判断イケてる?

 

ほとんどの人が、自分の服装に対して一定以上の高い評価をしています。

しかしながら、ファッションの本物から見ればこの上なくダサかったりします。

(そう思われた経験はありますか?私?もちろん、何度も経験済み。)

もしオシャレになりたいんだとしたら、自分の判断はノイズになるのです。

 

あなたの判断はイケてる?それともダサい?
ダサい判断しているなら、自分の判断で選択しない方が効果的かもしれません。

ダサい判断基準で選ばれるれば、結果はもちろんダサくなります。

 

ビジネスやマネジメントに関しても同じことが言えます。

仮に、あなたがソフトバンクに並ぶ会社を目指していたとしましょう。

その際、あなたのビジネスにおける判断のイケてる度合って10点満点でいうと何点ですか?

孫正義があなたを見たときに、「〇〇点!」ってつけると思いますか?

 

自分の頭の判断基準は、常日頃使い慣れているものなので、

扱いやすくてついつい大事にしたくなります。

自分の価値基準、判断基準に合わないことは、大抵無視してゴミ箱に放り込みます。

ただし、目指す場所を変える意思があるのならば、

その大事にしているものは、一回横に置いてみるといいかもしれませんね。