好奇心の記録

「言葉」をデザインする西澤薫の、日々の気づき。

「〜になりたい」では、決してならない

記念すべきブログ56日目。

本日はレガシードが実施する学生プレゼンイベントを見学してきました。

10人の学生が土日の2日間で自分の原点を深掘りし、それを受け入れてみんなの前で発表する。

そんなプレゼンを、ご両親や最愛の友人の前で涙を流しながら行なっていたのはとても素晴らしかったです。

 

 

 

彼らはすでに魅力的な在り方を持っていました。

「在り方」とは、もうすでにそこに存在しているものです。


私がよく使うのは、

「私は既にドラマーという在り方です。」

とか言います。
ドラマーってスネアの位置とかを調整します。それに一流であればあるほど、演奏前には必ず手首のトレーニングやマインドトレーニングは欠かしません。
(バイオリニストの葉加瀬太郎は、集中しすぎて1人でトイレには行けないそうです。)

 

「ドラマーになりたい。」や「ドラマーになれたらいいな。」では、この行動は出てきません。

そういうわけで、「在り方」はVisionとは異なります。

もうドラマーになっている私がここにいるわけです。

 

 

 

ディスティンクションで言うと、「〜である」と「〜になる」の違いでしょうか。

 

お金持ちになりたい、と心のどこかで誰もが思っているはずです。

(僧侶か、正真正銘のミニマリストでない限りは)

 

一方、一般的に見てお金持ちの人たちは、決して「お金持ちになりたい」とは言いません。

なぜなら彼らはすでにお金持ちだからです。

 「〜になりたい。」と言っているうちは、それはいつまで経っても手に入らないようです。

 

あるお金持ちが言ってました。

「お金持ちは、時間をとても大切にします。

お金で時間を買っているからこそ、彼らは多くのことをなし、お金が稼げるのです。

「お金持ちになりたい」と言っていても、お金を減らさないために時間をかけてしまうことがあれば、一向にお金は増えません。」

(もしくは節約家として生きていく場合であれば、この限りではないのかもしれません。)

 

 

 

「〜になる」と「〜である」は違います。

よく言われる「引き寄せの法則」の概念は、ここから来てると思います。

美しい未来を掲げて、いつかそれが起こることを予感しながら生きるのではなく、もうすでにそこに起きてるのだ、と考えて行動することで、未来が向こうからやってくるのです。

 

私もいつも一流という在り方でいます。