「期待」と「信頼」の違い
記念すべきブログ32日目。
本日はすごい会議主催のリカルド・セムラ―の東京公演を開催しました。
セムコ社は、社員3000名以上の大会社でありながら、組織階層や長期計画、業務計画のない会社です。
給料や出社するかどうか、会議に出るかどうかさえ、自分で決めます。
それでありながら、毎年40%以上の業績アップをし続けています。
↑彼の著書です。これを読むだけでも沢山の衝撃が走ります。
その秘訣はどこにあるのか?
セムラ―という人物の、今までの経営常識が一切当てはまらない考え方とは?
彼が初めて来日して、たっぷり4時間以上の公演が行われました。
結果。
はっきり言って、言っていることの半分ほども理解できませんでした!
というのも、彼自身の考え方がこれまでの経営の概念と離れすぎていたからです。
これまでのビジネスの常識を打ち破っていて、(でもとても合理的)彼の全体としている概念を理解しようとするだけでもむちゃくちゃ頭を使いました。
その中でも私が「こんなことを言いたいんだろうな」とGETしたことがあります。
それは、彼は社員にも「期待」はしていないが、「信頼」をしている、ということです。
「期待」と「信頼」の間には、スペースがあります。
期待とは、当てにして心待ちにすること。
対して信頼とは、頼りになると信じること。
「おんなじじゃん!」と思いますが、私が言うには、
「期待」には、自己の欲求が入っています。
「信頼」における『信じる』には、相手のことを受け入れる、という意味合いが含まれています。
セムラ―は何度か
「私は相手に対して期待を持たない。
相手が才能を発揮できる場でやらせれば、結果が出ることを信頼する。」
と言っていました。
彼は自分の子供にさえ、本人から言い出さない限りは、自分の会社に連れて行ったり、習い事に通わせたりしないそうです。
「こちらから何かを期待しても、結果的には相手が変わりたいときに変わる。
であれば、私はただそれを待てばいい。」
そんな彼の考え方が、セムコ社においても、給料や出社の自由という概念に落ちてきているのではないかと思います。
これだけ聞くと、とても素敵な会社に聞こえます。
しかしながら、「期待をしない。」とはとても厳しい世界です。
「彼も課長だからもう少し頑張ってくれるだろう」
「新人だからこれから伸びるだろう」
そういった(日本の会社にもよくある優しい)期待がなくなって、シンプルに「結果」が互いの信頼のバロメーターになります。
同じ社員同士でも、上司と部下のような関係性ではありません。
互いがまるで経営者のようにパートナーシップを結んでいる状態です。
それは自由でもありながら、「○○だから」という理由で守られない厳しさを感じました。
「社員一人ひとりに経営者マインドを持て」という言葉はよく聞きますが、それを地でいくセムコ社は、ものすごく革新的でまだまだ興味の尽きない会社です!