想像力が強い人は、人に優しくならざるを得ない
スタバのトイレでの話
恵比寿のスターバックスにいた時の話。
コーヒーを飲むと膀胱が緩くなるので、僕はいつものようにトイレに向かった。
そこのスタバのトイレは一つしかない。
トイレに先客がおり、男性が1名順番待ちをしていた。
僕は、その男性の後ろに並んだ。
それから3分ほど経ったが、まだトイレのドアは開かない。
自分の前に並んでいた男性は、痺れを切らしたのか、一度元いたテーブル席に帰っていった。
僕は先頭になった。
それから30秒もしないうちに、トイレのドアが開いた。
入っていたお客さんは僕の前を通り、先程席に戻った男性の前を横切っていった。
先程の男性も気づいたようだ。
テーブル席に戻ってから、そんなに早く出てくるとは思っていなかったのだろう。
驚くように僕の方を見ていた。
僕とその人の間には、5mほどの距離がある。
譲るか譲らないか?
こういう時、あなただったらどうするだろうか?
実際、今現在並んでいるのは、僕だ。
合理的に考えれば、全くもって譲る必要はない。
だが、僕は順番を譲った。
男性とトイレを交互に指さして、「お先にどうぞ」というジェスチャーをした。
男性は少し驚きながらもテーブル席から僕のいる方に移動して、「ありがとうございます」と会釈してトイレに入っていった。
さて、なぜ僕がこんな話をしたのかといえば、
「聖人であれ」とか、「親切心が大事」とか、そんなことを伝えたいからではない。
というのも、残念なことに、僕の心に親切心は1ミリもなかった。
譲らざるを得なかった
僕が順番を譲ったのは、ただ一つ。
「譲らざるを得ない」と感じてしまったからだ。
大変に、消極的な理由である。
先に入ったお客さん横切った後に僕に向けた男性の驚くような顔を見て、僕は察した。
きっとあの男性は、ここで僕が先に入ったら、「あぁ、並んでおけばよかった」と後悔するだろう。
いや、それどころか、僕が並ぶ前からずっと並んでいて、しかもダムが崩壊するギリギリだったのかもしれない。
そんな彼のことを想像すると、僕は「譲らずにはいられなかった」のだ。
決して、「日本人としての謙遜」とか、そんな崇高な理由などないのだ。
あぁ、そんな真実かどうかも分からないところにまで意識がいってしまったのが運の尽きだ。
「想像力が強い人は、人に優しくなれる」
なんて言葉を聞いたことがある。
その言葉の真実は、
「想像力が強い人は、人に優しくならざるを得ない」
なのかもしれない。